新陰流兵法 西江会

新陰流兵法 西江会

ごあいさつ

武士が中心になって戦で領土を勝ち取る世情の不安定な時代、室町後期に流祖・上泉伊勢守信綱が新陰流を創始してから400年以上の年月が経ちました。
戦をすることも、武具を身に帯びる必要もない現代の日本、兵法や武術は無益のものと思われそうですが、以下に述べる理由により、現代に生きる人に新陰流を鍛錬することを薦めたいと思います。

現代に新陰流を鍛錬する理由

常洲塚原に塚原卜伝という剣の名人がいた。卜伝は弟子の中で優れた技量の者に「一の太刀」の極意を授けようと考えていた。
ある日、弟子のひとりが道端につながれた馬の後ろを通ると、馬が弟子を足で跳ね飛ばそうとしたので、弟子はとっさに飛び退いた。これを見ていた村人がその早業を褒めたが、卜伝は逆に「一の太刀の極意を授ける技量ではない」と批判した。
村人たちはこの反応を不思議に思い、試しに暴れ馬を道端につないで卜伝が馬の近くを通るように仕向けた。しかし卜伝は馬の後ろを迂回して通ったので、馬が暴れることはなかった。
村人たちは予測に反した行動を見て、卜伝に「何故あの弟子の早業を褒めないのか」と尋ねた。卜伝は

「馬のはぬるに飛のきたるは、わざは利たるに似たれども、馬ははぬる(跳ねる)ものといふ事をわすれて、うかと通りしはおこたりなり。飛のきたるは仕合(しあはせ)といふものなり。剣術も時により、下手にても仕合にて勝事あるべし。それは勝(かち)たりとも上手とはいふべからず。只先をわすれず機をぬかぬをよしとするなり。一の太刀の位に及ばざる事遥(はるか)なれば誉ざりき」

と答えた。

(第二十三の四『塚原卜伝剣術鍛煉の事』)

上記は元文4年(1739)に湯浅常山によって書かれた『常山紀談(じょうざんきだん)』という史談集に掲載されているエピソードです。
卜伝の答えの部分のみ、口語ではなくそのまま書きましたが、現代に新陰流を鍛錬する理由がこの答えに集約されている、と思っております。

身体を動かす楽しさ

新陰流は型稽古です。型の動きは流祖や先達によって考案されたものであり、胴体から手足の末端に至るまで動きが決められていて、学習者の判断で形を変えることは許されていません。そのため、日常生活の動作から見るとはじめは不自由さを感じます。
しかし、制約された動作の中で身体の機能を最大限に使いながら動けたとき、爽快感や楽しさを感じることができると思います。また、無駄を省いた動作が身に付くようになり、今までと違う動きができるようになる楽しさもあります。

持続する力

新陰流は簡単な練習で劇的にうまくなったりはしません。無心に鍛錬を繰り返すことが一番早く上達する方法です。その過程を経て忍耐、地道に努力する力も身につけられます。

心身一如

本会では「技法」「心法」をバランスよく鍛えることを稽古方針のひとつとしています。
我々が御稽古で使っているのは殺傷術です。
竹を割った韜を使っているとはいえ、それなりの力で振り下ろせば怪我をしますし、また相手に敵意や悪意(弱い物を叩き潰す楽しさ)を持って太刀合わせをすればただの喧嘩、殴り合い、一方的な暴力になります。
殺傷術を使って殺傷術にならないようにするにはどうするか、それを鍛えるのが心法だと思います。
技法と一緒に心法も磨かなければ、我々はただのならず者集団になってしまいます。

「心身一如」という言葉があります。
無駄のない動作が身に付くにつれ、雑な動き、行動が減っていきます。行動が落ち着くと感情も落ち着いてきて、ある程度自力でコントロールできるようになります。
また、新陰流は韜の振り方だけでなく相手の動き、周囲の状況を常に観察しながら次の手、その次の手を予測判断する練習でもあります。これにより冷静さと状況把握能力が身に付くようになります。
普段の生活でも冷静に状況を見れるので、慌てず落ち着いて行動できるようになります。
練習を進めていく中で自分の能力、限界を客観的に分析できるようにし、これにより冷静な目で自分を理解し、正しい自信を持てるようにしていきます。

心法を磨くことで理性をコントロールすることが自然とできてくると思っています。
何十年もかかりますが…

新陰流のススメ

見栄やプライドに振り回されず自信を持てるようになると、無用な恐怖心から過剰な攻撃で人を傷つけることがなくなります。人を思いやる気持ちが生まれること、流祖・上泉伊勢守が唱えた『活人剣』に通じるものと思います。

自分を磨く機会、手段は世の中にたくさんあります。新陰流以外の武術、スポーツ、学業、仕事、家族との繋がり、仲間との結びつき、大切な人への思い、いろいろありますが…
その中から新陰流が選ばれれば大変嬉しいことです。

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